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保護者インタビューまなざし「予期せぬ死別、衝撃の連続」

保護者インタビューまなざし#29

「予期せぬ死別、衝撃の連続」

佐々木仁美さん(兵庫県 40代)

 

旅先で亡くなった夫は、35歳だった。突然の訃報に、仁美さんが受けた衝撃は大きかった。博識で、語学が達者で、広い世界観を持つ夫は、本当に頼りになる最高のパートナーだった。最愛の夫を失ったあの日から、1歳だった長男を抱えて仁美さんはどう生きてきたのか、そして今、何を思うのか…。お話を伺う機会を得た。

人生最大級の衝撃

高校で教師をしていた夫は、その年、高校3年生を担任していた。職場の慣例で、卒業生を送り出した3年生の担当教師団は、年度末に有志を募って旅行をすることになっていた。旅行好きの夫は、もちろん参加を決め、教師仲間と2泊3日の愛媛旅行に出かけて行った。仁美さんは、その期間、長男を連れて大阪の実家に行った。

 

「愛媛県の松山は、私が独身のころ1年ほど勤務した土地で、とても馴染みがありました。夫に好きだった大福餅の店がある、という話をしたことがあって、松山に着いてから『何て店だった?』と電話で聞いてくれました。夜の10:30頃にも電話がきて、他愛のない、いつも通りの話をしました。それが、夫との最後の会話になりました」

 

翌朝、集合場所に来ず、電話にも出ない夫を案じて部屋を訪ねた同僚が、冷たくなった夫を発見した。

「発見された時には、既に亡くなっていました。『早く来てください』と電話で言われて、余りにも驚いてしまい、文字通り言葉を失いました。声がでない、涙も出ない、味わったことのない衝撃でした。実家の両親も自分以上にびっくりして、声が出ませんでした。ありえないことが起こった時の衝撃は、表現する術がありません。パニックにもならないというか、呆然自失です」

 

仁美さんは、取るものもとりあえず、長男、両親とともに飛行機で松山に向かった。朝の9時に第一報を受けて、12時ころには飛行機に飛び乗っていた。

「警察署に行ってくださいと言われました。そこには同僚の先生が揃っていらして…ほとんどが初めて会う先生方でした。暗い部屋に通されて、顔に布を被せられた夫と対面しました。それは…2度目の衝撃でした」

 

警察という慣れない場所で、仁美さんの緊張と動揺は一層強かった。仁美さんに対しても事情聴取が行われた。事件性を調べるためだろうが、細かいことをあれこれ聞かれ、事情聴取は長時間にわたった。

「前の日は何を食べたか?あなたとの関係性はどうだったか?など、根掘り葉掘り…『ほんまに、今その質問いるの?』と思うような質問もありました。急性心臓死の診断がおりてはいましたが、『解剖しますか?』と聞かれたりもしました。夫の身体を傷つけることが考えられず、断わりましたが。『では、お引き取りを』と言われても、えーという感じで、何もかもが突然すぎて、どうしたものか、気持ちがついていけませんでした」

 

葬儀業者を通してワゴン車を手配してもらい、5時間かけて神戸の自宅へ戻った。高校の教師たちとは警察署で別れた。夫の隣に座って家へ戻る道すがら、仁美さんは関係者に電話をかけ続けた。「次はこの人に連絡して」という夫の声が聞こえてくるような感覚があった。次々と友人、知人に連絡を入れ、驚いて電話を掛けてくる友人にも対応した。

 

「ずっと、何があったんやろ?どうしたらいいんやろ?という気持ちが続いて、なかなか、現実は受け入れられなかったです。実は11年経った今もまだ、受け入れられていないです。夫が亡くなった実感が持てないというのが正直な気持ちです」

 

神戸に戻ってくると、家の前には多くの人が集まっていた。卒業したばかりの学生たちも身を寄せ合うように立っていた。

「妹が、機転をきかせて、部屋を整えてくれていました。和室に敷かれた布団に夫を寝かせて、外で待っていた人を家に招き入れました」

あまりにも突然のことで、駆けつけた人も混乱していた。

人間、いつ何があるか分からない

家では、義父母も待っていてくれ、葬儀の準備が夜通し行われた。

「想像を絶するほど、あれをしなくてはいけない、これをしなくてはいけないと周りが言ってくるのです。突然の出来事で、まだ冷静さを取り戻していない状況で、葬儀の知識も乏しくて、どうしていいのか分かりませんでした。そんな中でも入れ替わり立ち代わり、人が訪ねてくれました。届け出ること、手配することもたくさんありました。3~4日眠っていなかったです。寝不足でフラフラしながらも、眠くありませんでした。ありえないことが起こったからか、普通の感覚ではなかったと思います。悲しさはあるけれど、この『ありえへん気持ち』をどこかにぶつけたい、一体決定権は誰にあるんだ?という感じで、頭は完全に混乱していました。お寺はどうする?戒名をどうする?そもそも戒名ってなんぞや?というレベルで…。亡くなって数日間の記憶はあまり無いです」

 

葬式で喪主として挨拶をした。

この挨拶は、仁美さんの人生の中で、最もつらかった経験だ。仁美さんは、その時、そのままの気持ちを言葉にして伝えた。多くの学生とその保護者が、最後の別れに立ち会ってくれた。

「最後の別れの時も、本当につらかったです。100キロ近くもあった人が、骨だけになった時の衝撃はひときわ大きかったです。それが現実というのが…」

葬儀の後も、同僚や友人、親戚が次々と訪ねて来てくれた。人がいると、気が紛れて有難かった。

夫の世界は広かった

夫は、学生の頃から様々な体験をしていた人で、視野の広い、世界の広い人だった。中学生の時に1年間入院をしたことがあり、その時出会った院内学級の先生に強い影響を受けた。一度は企業に就職しながら、高校教師として転職したのも、あるいはその先生への憧れがあったからかもしれない。英語、中国語、タイ語を話し、大学時代はニュージーランドに留学をしたり、いろいろな国を旅したりしていた。ふたりになってからも、たくさん旅をした。

「新婚旅行はニュージーランドだったのですが、そこに行くまでに、山口県でフグを食べて1泊、福岡でラーメンを食べて、福岡空港からシンガポールに行って…と、旅程から楽しむ旅をしました。あらかじめ計画を立てることはなく、気の向くまま2週間の旅。言葉ができて、何でも自分でやれる夫ならではの楽しみ方で、一緒にいると何も怖くない感覚がありました」

夫が大好きなタイに何回も行った。国内旅行もたくさんした。青森、秋田…と東北地方を回り、四国も九州も屋久島に至るまで多くの場所に連れ出してくれた。無計画の行き当たりばったりの旅が楽しかった。

 

「これからは中国語が使えると役に立つから」と、長男にも語学を学ばせようとしていた。

「いつも家族のことを考えてくれる人でした。亡くなって2~3週間が経ったころ、1歳の息子に名前入りのオリジナルTシャツが届きました。葬式の翌日には、愛媛から私が好物と伝えていた大福餅が届きました。愛情を形にして見せてくれる、情の深い人でした」

それは、夫の両親や仁美さんの両親に対しても同じだった。よき伴侶、よき息子であった夫の死を受け止めるのは、誰にとっても本当に難しいことだった。

 

佐々木仁美さん結婚式

結婚式でのひとこま

頼りになる柱を失って

2月の末に夫が亡くなって、本来だったら4月から仕事に復帰する予定の仁美さんだったが、心と身体を休める時間が必要と感じ、育休を延長した。

「何でも夫に相談してきたので、話す相手を失ったのが一番つらかったです。息子はまだ1歳4ヶ月でしたし…。色々思うことがあっても、聞いてくれる人がいませんでした」

以前は児童館などにも遊びに行ったが、段々と外に出るのが嫌になった。人に会うのが億劫でもあった。

 

夫が亡くなって半年が過ぎたころ、仕事に復帰する決意をした。ためらいはあったが、生活のために働かなければならなかった。職場へは片道1時間20分の通勤。1歳の長男は保育園での新生活が始まった。神戸市の母子生活支援制度を利用して、週に2回、夜間に2~3時間家事手伝のスタッフに来てもらった。勤務時間も10時から16時の間に短縮して、通勤に慣れていく練習をした。多くの助けを借りながら、仕事と家庭を両立させる挑戦が始まった。

「復帰してみると、そこは別世界のようでした。ずっと赤ちゃんと2人きりでいた孤独な世界から、ビジネスマンが歩き回る世界へ。特にお昼休みは自分だけの時間が持てて、外食もできて、いい気分転換になりました」

 

保育園にはとても世話になった。閉園ギリギリの19時まで預かってもらい、働く時間を少しずつ定時に戻していった。

「先生方が本当によくしてくださいました。朝、『いってらっしゃい』と声をかけてくれるのが嬉しかったです。一緒に子育てをしてくれる保育士さんの存在は本当に大きかったです」

 

佐々木仁美さん長男と

幼いころの長男と

ありのままを受け止めてくれるレインボーハウス

夫が亡くなって3~4ヶ月経った頃、夫の携帯電話を解約した。電話を解約する前に、仁美さんは夫に向けて長文のメールを送った。時間をかけて自分の気持ちを書き出して、考えを整理した。遺品もどれを取っておくべきか判断がつかなくて、長い間整理できずにいた。携帯電話の解約や所持品の処分は精神的にきつい作業だった。

 

「死にどう向き合っていったらいいか、分からずに戸惑ってばかりいました。何人かの大人に『死んだらどうなるんだろう?』と聞いたりもしましたが、答えはありませんでした。夫の死後、3年間くらいは記憶も曖昧です。そこを過ぎると息子と会話ができるようになってきたこともあり、気分が少し変わってきたなと感じました」

 

長男が5歳の時、初めて神戸のあしながレインボーハウスを訪れた。神戸市の母子会を通じて同じような境遇のお母さんと出会い、その人がレインボーハウスを紹介してくれた。

「あしながレインボーハウスにつながれたのは、本当に大きな出来事でした。困っているときは、もう一杯一杯で声を上げにくいものです。ここでは職員が、ありのままに、全ての話を聞いてくれました。こういう人もいるんだ!と目が覚める思いでした。そこに居た参加者はみんなお母さんで、みんな夫を亡くしていました。普通は母親同士でも、夫がいないといった話はなかなかできません。おそらく息子も学校では父親の話はしたことがないと思います」

 

ずっと同じ会社で仕事をしていて、職場と家の往復で精一杯となると、人間関係は自ずと狭くなる。レインボーハウスで、職員やファシリテーター、参加者と出会い、プログラムの共有体験を通して、仁美さんの世界が広がっていった。

 

「全国小中学生遺児のつどいに参加した時、ものすごい体験だなと思いました。つどいでは子と親は別行動で、全く初対面の保護者の方々と寝泊りするのですが、地元が違う初対面の人でも安心していられる空間が本当にあるなんて…と驚きました。ここなら何を話しても大丈夫という感じがして、かなり深い話ができました。みんなの話を聞くと、経験しないと分からないことがあるなぁと感じます。伴侶の亡くなり方や家庭環境が違ったとしても、同じような経験、同じような状況だったことが分かるんです。死別体験を経て、今、頑張っている方々と出会える機会というのは他ではなかなかありません。自分の心の奥底にある思いを口から言葉として発するだけでも、話を聞いてもらうだけでも、気持ちの整理がつくのです」

「子どもと一緒に大学生」が夢

仁美さんは、小さなころから水泳を習っていた。水泳選手を養成するクラスで、学校がある日は毎日放課後に、週末は朝から晩までプールで泳いでいた。中学からは子どもを指導する立場になって、プール三昧の日々が続いた。水泳が大好きだった。

「勉強にはあまり興味がありませんでした。短大に行きましたがアルバイトばかりしていて、その後就職してからは、ずっと同じ職場で働いています。夫と対照的に、私は狭い世界で生きてきました。でも、夫が大学時代にいろいろな場所を訪ね、人に会い、体験を積んだ話を聞いて、大学に憧れがあります。だから今は、いつか大学に行きたいと思っています。中学生の息子が大学に入る時、私も大学生になりたい!シルバーのための大学でもいいので、大学生活を経験したいです。仕事と両立できたら一番いいんですけれど」

 

何を学びたいかはまだ決めていないが、「人間の死」についてもっと知りたいと思う。

「コロナ禍に、義母が亡くなりました。義母の死もまた、予期せぬ別れでした。コロナ禍という特殊な状況だったこともあり、最期の時も義母に対面することは叶いませんでした。家族の死にふれて、生き・死にに関する教育って無かったなぁと気付きました。性教育のように『生教育』も必要だなって。私は大人だけれど、どこか死を理解していないところがあります。タブー視しないで、いざという時に心が折れすぎないように、あらかじめ知っておいてもいいのでは?と思います。家族が元気なうちに、まともな心理状態の時に、死について会話できれば、死に直面した時の衝撃が違うと思うのです」

将来的に、そんなことを子どもたちに教えることが出来れば、「本当の社会人」になれるかもしれないと思ったりもする。新しい学びを得て、何らかの社会貢献がしたい。

 

夫との死別は無ければそれに越したことは無かったが、それがあったからこそ強くなったとも感じる。

「日常生活で嫌なことがあっても、葬式であいさつしたあの時のつらさを思ったら大丈夫!って思えます。息子には、感謝の気持ちはその場で伝えなくてはいけないよ、と教えています。また今度言おうの今度は、無い可能性があるよ、って」

夫はいまでも、仁美さんと長男に、強さと気づきを与え続けてくれている。

 

(インタビュー 田上菜奈)

 

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