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「必ず・・・」を待つ場所として

コラム 2023.02.24

あしなが育英会では奨学金事業以外に、レインボーハウスと呼ばれる「心のケアの拠点」で親をなくした子どもとその保護者を対象に、「グリーフサポート」のためのプログラムを開催しています。

コラムシリーズ「あゆみ」では、本会の職員含めグリーフサポートに携わっている人たちに、このような活動をするようになったきっかけ、自身や人々のグリーフと触れ合うなかで感じることなどを紹介してもらいます。

 

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ひょっとしたら、自分も家族も被災したかもしれない

東日本大震災から間もなく12年になろうとしている。毎年3月が近づくと決まって家族で震災当時の話題になる。震災が発生した前日、私は三陸海岸部の岩手県釜石市で仕事をしていた。そして震災当日は、岩手県内陸部の北上市内で大きな揺れに襲われ、地震で段差や亀裂が生じた道を、家族の安否を心配しながら車を走らせ帰宅した。家に着いたのは夜中の12時を回っていた。自宅は屋根瓦が落ち、家の中は食器棚やタンスが倒れ、足の踏み場もないほど物が散乱していたが、発災時、家にいた家族は全員無事だった。

 

またこの日は、私の息子が祖父の送迎で、津波で被災した沿岸部にある公民館の体育館にミニバスケットボールの練習に行く予定だった。もし地震の発生時間が遅く送迎中に地震が起きていたら・・・、もし体育館で練習中に津波が襲って来ていたら・・・、もし1日前、出張中の釜石市で地震が起きていたら・・・と、もしものことを今もいろいろと想像してしまう。震災の津波で知人を6名亡くした。「3.11」が近づくと家族で、亡くなった人達の生前について語りながら、難を逃れ、今を生きていることを確認しあう時になっている。

 

震災後はボランティア活動に参加した

震災後1ヶ月が過ぎた頃から、自分の出来る事としてボランティア活動に参加した。

津波が襲った瓦礫の中から自衛隊員が集めてきた泥だらけの写真や卒業アルバム、大会の賞状、ランドセルなどを一つひとつ洗浄し品目別に分別、整理する作業だ。手に取る品々は、誰のものなのか顔も名前も知らないはずなのに、何故か持ち主の背景や家族の物語を想像してしまい作業する手が何度も止まったことを思い出す。

 

また、小学生のときから続けてきたボーイスカウトの仲間と一緒に、避難所に届いた支援物資の荷下ろしや仕分けなどの手伝いもした。そしてボーイスカウト宮城県連盟の役員を務めていた関係で、全国から泥かきや炊き出しなどの被災地支援に駆けつけてくれたボーイスカウトの仲間を、被災地や避難所に繋ぐ橋渡しや支援物資の受け入れ先などの調整役もおこなった。震災から半年くらいは仕事とボランティア活動で忙しい日々を過ごした。

 

レインボーハウスで出会ったひとりの男の子

震災で被災し親を亡くした子どもたちが、今も定期的にレインボーハウスで開催されるサポートプログラムに参加している。ある日のプログラムで、震災当時小学2年生で父親が被災し、中学生となっていた男の子が「僕が不登校になったのは、父親が津波で流されたのが原因かな。何故かやる気がでない。たぶんお父さんが生きていれば、こんな気持ちにもならず、ちゃんと学校に行けていたと思うんだ。でもお父さんが被災したからこのレインボーハウスに来られたし、友達もたくさん出来た。そしていろいろな経験も出来た。お父さんが生きていたらこんな経験はできなかったと思うから、お父さんが繋げてくれたのかなと思って、今は感謝する気持ちもある」と、ちょっと笑みを浮かべて話してくれた。

 

彼は高校卒業と同時に「将来、和食のお店を持ちたい」と夢を叶えるため、2021年3月、ひとり東京に板前の修行にでた。東京に出発する数日前にレインボーハウスに立ち寄ってくれて「仙台に自分の店を構えるまで何年かかるか分からないけど、カンカン(私のニックネーム)には必ず連絡するから、必ず俺の料理食べに来てね」と言ってくれた。今でもたまにレインボーハウスへ近況を伝える電話をくれる。修業は大変なようだが一歩一歩自分の夢に向かって進んでいることを嬉しく思い、私も陰ながら応援していきたい。そして今だ行方不明のお父さんも、きっとどこかで応援していると思う。

 

身長を記載する様子

プログラムでの成長の記録を刻む光景(文中の男の子とは異なる)

 

今の自分にできること

ハイキングや登山が好きな私は、時間を見つけては太平洋沿岸部を散策している。津波で被災した学校やホテルの震災遺構を一つひとつ見て回わりながら、復興で日々変わっていく風景と、レインボーハウスに来る遺児たちの声を重ね合わせ、さまざまな想像を巡らせている。

 

そして長年携わっているボーイスカウト運動では、野外活動を通じて子ども達に「良き社会人」「生きる力」を育んでいる。また数年前から地元の障がい者施設の業務運営委員や手をつなぐ育成会の監事なども頼まれ手伝い始めた。2019年、台風19号で阿武隈川が氾濫した際には、宮城県丸森町に行って家屋の泥かきにも参加した。

 

頼まれると断れない性格もあるが、震災を経験したからこそ「生かされていることへの感謝」「生まれ育った地域への恩返し」の気持ちがより強くなった。これからも自分のできる事をできる範囲で、少しでも何かの、そして誰かの役に立てればと思っている。

 

グリーフサポートは長期戦です。子どもたちの一人ひとりの声に耳に傾けること。そして「だいじょうぶだよ」と見守ること。心に寄り添いそして支え続けていきたい。

 

 

2023年2月24日記

 

 

 

東北レインボーハウス職員 

菅野 宏彦(かんの ひろひこ)

2015年7月 あしなが育英会に入局。現在、レインボーハウスのプログラムの運営や建物管理、支出関連などの業務をおこなっている。趣味は、野外活動や登山。大学卒業時にヒマラヤを一人でトレッキングをした。最近はソロキャンプもはじめた。

投稿者

山下 高文

東日本大震災から約1年後の2012年に入局。入局前から、学生ボランティアとして死別体験をもつ子どもたちを支えるグリーフサポートプログラムに関わる。 現在は、職員としてプログラムの企画・運営・進行を行っている。

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