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1月17日絶対忘れない|阪神・淡路大震災遺児の作文紹介

2024年1月1日に発生した能登半島地震でお亡くなりになられた方々、被災され今もご不安な想いをされている皆様に心よりお見舞い申し上げます。

阪神・淡路大震災で親を亡くしたかっちゃんの「黒い虹」

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、6,434名の犠牲者を出し、未曽有の大地震と言われました。私たちは「あしなが育英会」として2年目を迎えたころでした。あの日から、まもなく29年が経ちます。

 

>>>2024年1月17日 学生寮「虹の心塾」(神戸)の塾生が追悼行事に参加

 

震災発生後、本会は震災によって親を亡くした子ども(震災遺児)を探すため、新聞の犠牲者名簿をもとにローラー調査を実施し、573人の震災遺児と出会いました。同年8月に震災遺児を招待して開催した「海のつどい」で、一人の少年「かっちゃん」(当時小学5年生)が、亡くなったお父さんのことを思い出しながら「黒い虹」の絵(詳しくは記事後半を参照)を描きました。

 

かっちゃんが描いた黒い虹の絵

かっちゃんが描いた「黒い虹」。赤い部分が黒で塗りつぶしてある。

 

この絵が描かれたときのことを、玉井は次のように述べています。

 

 かっちゃん(小5)は、この夏、海のつどいで、「黒い虹」の絵を描いた。月と星をちりばめた空に、虹の橋を架けた。緑、青、赤、黄の四色で彩ったあと、赤を上から黒ペンキで塗りつぶした。夜空に黒い虹だ。彼の作文には、“夜、よくこわいゆめをみる”とある。

 アンケートでは、親は“自分を助けるために死んだ” “すまない”と2人に1人の子が自責の念に駆られている。3人に2人は地震を“いつも思い出す” “ときどき思い出す”という。

 死にたかった。そしたら、お父さんもお母さんも助かったかも、と中学生は書いた。

 僕らは、改めて震災遺児の心の傷の深さに打ちのめされた。

(「喪失体験の悲痛な心の叫び」、書籍『黒い虹 阪神淡路大震災遺児たちの一年』より引用)

子どもたちの作文

この絵がきっかけとなり、あしなが育英会は震災遺児家庭の実態調査を行い、遺児の心のケア事業に着手していくことになります。

震災の翌年には、作文集『黒い虹 阪神淡路大震災遺児たちの一年』(あしなが育英会編・副田義也監修、廣済堂)が出版されました。「親たちの一周忌にこの遺された子らの将来をみんなで本気で考えてほしい。祈る思いでこの書を出す」と玉井が記しているように、震災遺児の未来を願って作られた、当時の様子を克明に伝えている一冊です。

同書に収録された作文を2点ご紹介します。

 

1月17日絶対忘れない

 

最近は本を読む時間が増えた。読書は父が好きなことだった。

日記もつけるようになった。これも父がしていたことだ。

今は時々ボケーッとして無気力になることがある。それも地震があってからだ。

そして、父を失ったことが・・・。

今思うと、もっと親孝行してやりたかった。

幸い母は助かったが、父への孝行とは違ってくる。

父は僕たちのために夜遅くまで働いてくれていたから、もっと楽をさせたかった。

よくけんかもしたが、今はけんかもできない。

だが、ウダウダ思うことはもうやめよう。

今はこの体験を教訓にして、前へ進むことが大切だ。

そして、将来は父にほめられる人間になりたい。

1月17日は、永遠に忘れない。

木花 武徳(当時高校1年生)

 

一日も早く、元の神戸に

 

阪神大震災が起こった時、家や学校がこれからどうなるのかという心配と、また地震が起こるんじゃないかという恐怖でいっぱいでした。

あれから9か月が過ぎ、毎日のように泣いていたお母さんにも、少し笑いが見られるようになり、今までとは比べものにならないほど暗かった家の中の雰囲気も、けっこう明るくなってきました。

それでも、食事をしている時などは、少しさびしさがあったりします。

休みに会いに行ったときのおばあちゃんは、それ以上に悲しそうでした。

いつも元気で厳しいおばあちゃんが別人のように元気がなく、おばあちゃんが涙を流しているのを僕ははじめて見ました。それほど、お父さんのことが好きだったのです。

お父さんは真面目で、勉強を教えてくれたり相談にのってくれたり、いつも家族のことを心配しました。

お父さんとは何もしてないと思っていたけど、亡くなってから、いろんな思い出がうかんできます。

でも、このまま落ち込んでいるわけにもいきません。お父さんは、「もっと勉強しろ、将来何になるか決めておけ」と言っていました。

僕は今、クラブ活動には力を入れているけど、勉強は手を抜きがちです。両立できるよう努力して、お母さんや兄弟に心配させることなく、ぜったい後悔しないよう堂々と胸を張り、常に前へ進み続けることを忘れたくないです。

でも、神戸に戻りたいという気持ちはあります。神戸は本当に住みやすいところでした。

どうか、一日も早く、元どおりの神戸に戻ってほしいです。

お父さんもきっとそう願っていると思います。

M・S(当時中学2年生)

 

かっちゃんの「黒い虹」と「レインボーハウス」

「黒い虹」を描いたかっちゃんは、1995年の阪神・淡路大震災で父と妹を亡くし、自らも9時間生き埋めになるという壮絶な体験をしました。彼の絵は、当時あしなが育英会会長代行を務めていた玉井と職員に、大きな衝撃を与えました。そして、「あの黒い虹に子どもたちが自分なりの七色の虹をかけていく手助けをしたい」という思いで、本会の心のケア事業の拠点である「レインボーハウス」が誕生しました。

 

1999年に完成した「神戸レインボーハウス」は、今日まで、阪神・淡路大震災遺児のグリーフケアを続けています。当時の子どもたちは全員成人しましたが、今でも1月に震災遺児が集まり、当時の想いを分かち合う時間を設けています。また、2003年からは病気や自死などで親をなくした子どもたちへも対象を広げ、主に幼児~中3までを対象とした様々なプログラムを開催しています。

あなたを支える場があります

大切な人との死別を経験すると、「グリーフ(愛惜・悲嘆)」と呼ばれる感情・反応が生じることがあります。

あしなが育英会の心のケア活動の拠点・レインボーハウスでは、子どもたちと保護者の方のグリーフに寄り添うため、安全・安心を感じてもらえる環境をつくり、定期的にさまざまなプログラムを行っています。

プログラムに参加してみたい方やレインボーハウスの活動についてお知りになりたい方は、以下のフォームよりお気軽にご連絡ください。

 


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あしなが育英会では、一人でも多くの方に、遺児や遺族の気持ちに触れ遺児支援への理解を深めるきっかけとしていただけるよう、遺族の手記をまとめた作文集を作成しました。ご希望の方に、以下の2種類を冊子代・送料含め、無料で進呈しています。

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◇◇◇

書籍『黒い虹 阪神淡路大震災遺児たちの一年』

1996年1月17日出版

発行:廣済堂出版

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