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桧山進次郎さん(元阪神タイガース)と小島汀さん(阪神・淡路大震災遺児)が対談

阪神タイガースによる遺児支援から20年

阪神・淡路大震災(1995年)で親を亡くした子どもたちを励ますため、阪神タイガースは2002年のシーズン中、大キャンペーンを展開してくれた。自身も生まれる前に父親を亡くしていた星野仙一監督(当時)の発案だった。選手全員がヘルメットに「あしなが育英会」のステッカーを貼り、震災遺児を甲子園球場に招待。主力選手らが球場での募金活動などで支援した。そんな中で、当時の選手会長だった桧山進次郎さんと、タイガースファンの父親を亡くした小島汀さんが出会った。

あれから約20年。現在は野球解説者として活躍する桧山さんに神戸レインボーハウス(遺児の心のケア施設)にお越しいただき、小島さんとの対談が実現した。

桧山 進次郎(ひやま しんじろう)さん

元プロ野球選手、阪神タイガースに1991年から22年間所属。2001年から2003年までの3年間、タイガースの選手会長に就任。その時期にあしなが育英会への支援活動がスタートし、毎年シーズンオフに神戸レインボーハウスに訪問している。「代打の神様」としてもファンを熱狂させた。

小島 汀(おじま みぎわ)さん

1995年、3歳のときに阪神・淡路大震災で父親を亡くす。幼いころから、母親と共に神戸レインボーハウスに通う。高校生のときには中国・四川大地震の現地交流会に参加するなど震災遺児の恩返し運動に積極的にかかわる。大学生のときには東日本大震災で被害を受けた東北各地でのボランティアに参加。

星野監督や桧山さんとの出会いが人生を変えた(小島さん)

星野監督「前へ進もう」

2021年10月、神戸レインボーハウスに「久しぶり~」と再会を喜ぶ、元阪神タイガース選手の桧山進次郎さん(52)と小島汀(みぎわ)さん(30)の声が響き渡った。汀さんは生粋の阪神ファンであり、熱烈な「ひーやん(桧山さん)ファン」である。 2人の出会いは2002年に遡る。汀さんは1995年、3歳のときに阪神・淡路大震災に遭い、父を亡くした。その後、1999年に完成した神戸レインボーハウスへ毎日のように通い、「第2の家」となっていった。

 

そんな中、2002年阪神タイガースのあしなが育英会へのご支援を通じ、汀さんは星野監督と出逢う。星野監督の「僕も父親がいなかった。夢を持って前に進もう」という言葉が汀さんを変えた。阪神タイガースは亡くなった父親が「めちゃめちゃ好きだった」球団で、星野さんと会うときにかぶった阪神キャップは、がれきの中から出てきた父親の遺品だった。神戸レインボーハウスでの一年に一度の桧山選手との交流は、人生を変え、自分を変えた。

「この出会いがなかったら、たぶん今の自分はなかったと思う。私の行動力や人と関わりたいという根底の思いは、星野監督や、その後の桧山さんとのつながりがきっかけやと思う」

 

自分の背番号のユニフォームを着た笑顔の可愛い女の子が、桧山さんの目にすぐ入ってきた。それが汀さんだった。毎回、桧山さんの訪問日が決まった日から、レインボーハウスの子どもたちで手作りした大量の紙吹雪で大歓迎。

「オフの日のひーやんに会えている私たち、特別! みたいな感じで、みんなテンションあがってました! めっちゃうれしかったですね」

「野球の報告というよりは、みんなに会いにいってた感じですよ。みんなの成長を見にいってた。それで、みんなと楽しく過ごせたらいいな~と思ってた。キャッチボールしたり、椅子取りゲームしたり。懐かしいな~」

 

父が残した阪神タイガースのキャップをかぶって星野仙一監督と記念撮影する汀さん(当時小5)。この年、タイガースはシーズンを通してヘルメットに「あしなが育英会」のステッカーを貼って、震災遺児を応援してくれた(2002年4月、阪神甲子園球場で)

娘のように見守って

汀さんの成長も親のような気持ちで見てきた。「元気な笑顔で『ひーやん、ひーやん』ていわれたらね。こっちまで幸せになりますよ。僕には娘はいないから、もう娘みたいなもんですよね」。目をあまり合わさず話さなくなった思春期も「どうやって会話しようかな~と考えるのも楽しかった」。陸上部でがんばっていたことも覚えているし、汀さんがラジオ出演した時はサプライズで駆け付けた。

劇的ホームラン目撃

2013年10月13日、桧山さんの現役最終試合の九回裏二死。代打の準備をする桧山さんの前打者マートンが右前ヒット。アウトならば、めぐってこなかったチャンス。「代打・桧山」のコールに沸き返る甲子園、ライトスタンドにホームランを放った。その時、汀さんも甲子園球場にいた。大好きな阪神の側にいられる甲子園球場での売り子のアルバイト最終日。アルバイト終了後、「これ見ないと今日は終わられへん」と球場の裏のスクリーンで、大歓声の中、その姿を見続けた。桧山さんの勇姿を見て、汀さんは涙が止まらなかった。

「めちゃめちゃかっこよかったです。かっこよすぎます。売り子最終日を飾ってくれたって勝手に思ってました」

「やっぱり娘が見てくれてました!」と桧山さんの顔にも満面の笑みがひろがった。

汀さんは、大学生のとき「タイガースと桧山さんを一番近くで感じるには、売り子をするしかない」と思い、売り子のアルバイトを始めた。試合前のシートノックのとき、汀さんが「ひーやん」とアルプススタンドから桧山さんに声をかける。「汀ちゃん、おーい。仕事がんばりやー」。そんなやりとりも習慣だった。

苦しさに正直に向き合えば 次の場所で花が咲く(桧山さん)

やっぱり人が好き

大学卒業後、汀さんはウエディングプランナーを5年間つとめ、その後は東北の物産展の仕事をしていた。東日本大震災が起きた1年後、宮城県石巻市に半年間住んだ。東北の人たちを大好きになって、東北のファンになった。大好きな人たちが作っているその商品を、東北の魅力を多くの人に伝えたいと思った。

「人って、人とのつながりでパワーをもらえるんだなと思うんですよね。阪神を好きにさせてくださった桧山さんとの出会いがあって。そんな阪神を好きになった自分だから、今、自分がしたいと思うことができているんやと思う。やっぱり人が好きなんですよね」

「俺も人が大好きやから、よくわかるよ」

甲子園のスタンドが故郷

汀さんは、今もパワーチャージに甲子園に行く。「甲子園のお父ちゃん」みたいな人もいるし、桧山さんが好きな、阪神タイガースが好きな人たちとのつながりが、そこには存在する。

「甲子園のアルプススタンドが、私の原点で故郷なんです」

そして、父親が大好きだった阪神タイガースを自分もこうやって応援できるのは、共通の趣味を持てているようで、うれしい。

つながれた手の先に

「人生、いいこともあれば、苦しいこともある。でも、その苦しいことにもがんばって、正直に向き合っていれば必ず乗り越えられる。次に何か挑戦する時も、がんばったところの神様が、次の神様にお願いすると思う。頼むよ、汀のこと、みたいに。きっと、次の場所で花が咲いてくれる」

桧山さんの言葉が、汀さんの心に染みわたっていく。

「次は、俺が汀ちゃんに人生相談にのってもらうかもしれんな~。ちょっと聞いてよ、どう思う?って」「え~! こっちが相談させていただけたら…」「また連絡するわな」「はい、是非お願いします!」

これからも、「ひーやんと汀ちゃん」2人の、父親と娘のような、人生の先輩後輩のような、友だちのような、そんなかけがえのない、温かい関係性は続いていくのだろう。2人のつながれた手の先には、汀さんのお父さんが見守っている、そんな姿が見える気がする。

 

2代目となる新しいユニフォームに「ひーやん」のサインをもらい満面の笑みがこぼれる汀さん。
これからも、このユニフォームと共に甲子園へ!

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