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「自分にしかできないことを」―東日本大震災から10年を振り返って

奨学生インタビュー  新田佑(にった・ゆう)さん(19)

 

小学3年生の時に発生した東日本大震災で母と二人の妹をなくし、あしなが育英会のレインボーハウスが提供する心のケアプログラムに参加するようになった佑さんは、今年、大学1年生。現在、東京の「あしなが心塾」で生活しています。震災から10年が経過したいま、佑さんにとってレインボーハウスがどのような存在であったのか、プログラムに参加することでどのような変化をもたらしたのか、お話を伺いました。

心の変化をもたらしたレインボーハウスとの出会い

 佑さんがあしなが育英会と関わりを持つようになったのは、2011年6月。父親と2人で避難所生活を送っていた頃、岩手県花巻市で行われた1泊2日のプログラムに参加したことがきっかけでした。同年9月には、東京都日野市にあるあしながレインボーハウスが開催した「全国小中学生遺児のつどい」(以下、つどい)にも参加。そこには、東日本大震災で親をなくした子どもたちも来ていました。

 

「同じ境遇の子や温かい大人が多くて、居心地がよかったのを覚えています。学校よりも気楽に過ごせました」

 

 つどいの雰囲気を気に入った佑さんは、あしなが育英会が陸前高田市に設立したレインボーハウスに通い始め、中学を卒業するまでつどいにも定期的に参加するようになりました。次第に、レインボーハウスでの過ごし方や気持ちの在り方に変化が表れてきます。

 

 「小学生の頃の自分にとって、レインボーハウスは環境や周りの人との違いからくるストレスを”遊んで発散する場”でしたが、中学校に上がってからは心を休める場に変わっていき、将来のことをはじめ色々なことを相談するようにもなりました。見習うべき先輩や年下の子どもたちと接することが多かったので、成長の場でもありました。中学生になってからは、僕自身がファシリテーターみたいになっていましたね(笑)」

 

 小学生、中学生の頃には、あしなが育英会の制度を通じて海外に行き、現地の遺児と交流する機会があり、広い世界に興味を持つようになりました。特にフィリピンでの体験は佑さんの価値観を大きく揺さぶり、「幸せとは、生活の質や環境によって変わるものではない。環境にかかわらず、自分次第で幸せになることはできる」と考えるようになったそうです。それはその後の姿勢にも良い影響を与えてくれました。

 

陸前高田レインボーハウス

東北と神戸交流のつどい

経験を重ねて、自分にしかできないことを

 2020年春、被災した経験を生かして「自分にしかできないことをやろう」と、災害時やネットワークが繋がらないところで役立つ「アドホックネットワーク」について勉強することを決め、東京の大学に進学。同時に、あしなが奨学生のための学生寮「あしなが心塾」にも入寮しました。

 成長とともに、「小学生の頃の自分を受け止めてくれた人たちのような大人になりたい」「ファシリテーターをやってみたい」という想いが強まってきたこと、そして、つどいを通して集団生活の楽しさを知ったことも、心塾に入ろうと思った理由の一部でした。

 

 燃立つ佑さんの心と裏腹に、2020年度は新型コロナウイルスの影響でつどいもファシリテーター養成講座も開催されず、入学したばかりの大学の授業もオンラインでの実施に・・・。さらには心塾も一時的に閉鎖となり、本格的に寮生活を開始できたのは6月のことでした。

 

「未だに大学生になったという実感が持てないのは事実ですが、多くの寮の先輩や同期と毎日を過ごすことは、とても楽しく刺激的で充実しています!」

 

 海外にも興味がある佑さんは、在学中に1年間の海外インターンシップやプログラミングキャンプへの参加を考えているほか、プライベートではアジア旅行をしてみたいそうです。今は心塾の先輩から話を聞いたり英語の勉強をしたりして、その日にむけて備えています。

 

 最近は、東日本大震災から10年目にあたりメディアから取材を受けることが多くなりました。本会が2月19日に発刊した東日本大震災遺児の作文集『お空から、ちゃんと見ててね。』(朝日新聞出版)にも、佑さんの手記が掲載されました。

”当時小学生だった私にとって、あしなが育英会の「全国小中学生遺児のつどい」は自分の素を出せる場所、気を使う必要のない場所でした。被災していても自分の周りには同じように親を亡くしている同級生が多いわけではなかったので、学校は気を使って、使われる場所でした。

 でもつどいでは、同じ体験をした遺児どうしで集まって、気兼ねなく時間を過ごすことができます。自分のような人たちと多く出会う中で、自分は一人ではないのだなと強く思いました。

 (中略)学校や家族との人間関係で悩んでいるときは、職員さんにはいつも寄り添っていただきました。親のような存在でした。私が精神面で成長できたのは、職員さんとファシリテーターの方々のおかげだと思っています。” 
ー『お空から、ちゃんと見ててね。ー作文集・東日本大震災遺児たちの10年』(p.168)より抜粋

 「昔から、自分にしかできないこと、自分にできることはやろうという意識があって。震災には関わり続けなきゃいけないと思うし、経験した人が発信しないといけないからこそ、機会があれば積極的に参加しています。手記を書くことによって、人生を振り返り、目標の再確認ができたのはありがたかったです」

 

あしながレインボーハウス内のメッセージツリーの前で

これからは、自分が支援をする側に

 「僕が思うレインボーハウスは、色々な人がいる場所。話を聞いてくれる人、勉強を教えてくれる人、遊んでくれる人、自分と似たような経験をしている人。『絶対来た方がいい!』とは言わないけど、一度来てみたら、自分が探している人、会いたい人がいるのかもしれない。僕にとってはレインボーハウスに来たことが、その後の人生にとって、大きな指針になったと思います」

 

 そう話す佑さんには、もう一つやりたいことがあります。

 

 「今までの生活を振り返ると色々な人と出会い、それによって今の人格を形成してきたと感じます。私が今、普通に生活できているのも、多くの方々のご支援があってのことです。お世話になった人たちのためにも、今度は私が、自分と同じような遺児たちを支援する側になりたいと思います」

 

 インタビューを通して佑さんは、辛い経験を前向きにとらえ、確かな力に変えられることを教えてくれました。これからも大学で、心塾で、そして世界でたくさんの経験を重ね、自分にしかできない夢を叶えてほしいと思います。

 

聴き手:佐藤シャミーナ

 

 

◆2021年3月9日(火)に本会にて行われた記者発表で、津波遺児の1人として佑さんが登壇してくれました。

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