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「人生の半分を過ごしている居場所」 これまでも、これからも。

 

2022年、あしながレインボーハウスの活動は15年の節目を迎えた。

その間に、プログラムに参加していた子どもたちも成長。参加者から、子どもたちを支えるファシリテーターになる卒業生も増えてきた。

18歳の成人を迎え、この春に高校を卒業したコウキさんココミさんも、幼い頃からレインボーハウスに来ていた。

二人はともにファシリテーター養成講座を修了し、これから活動を開始する。

施設と同じく節目を迎えた二人のこれまでとこれからについて、今の気持ちを聞いてみた。

 

はじめは「ただただ楽しい遊び場」だった

二人はそれぞれ、4歳と5歳のときにお母さんを亡くしている。レインボーハウスで出会い、いつの間にか仲良くなり、気が付けば隣にいた。

「お互い、毎回来てたもんね」「うん。いっしょに行動してね。つどいのときは二人でずっと寝て、ファシリに起こされたよね」と笑いあう。

 

季節ごとの行事がとにかく楽しかった。5月のタケノコ掘り。夏の流しそうめん。クリスマスのワンデイプログラムではみんなでケーキを作った。

「保護者の分も作ったんだよね。サンタの飾りをスポンジの中に隠しこんでさ」

「そうそう、いたずらしたよね」

 

つどいでマシュマロ焼きをしたあとは、家のコンロでもマシュマロを焼いてみた。

 

 

 

レインボーハウスの子ども達が手作りしたクリスマスケーキ

子どもたちがデコレーションしたケーキ。2019年のクリスマスプログラムにて

 

 

 

レインボーハウスを「ただただ、楽しい遊び場だと思っていた」、そう話すのはコウキさん。

はじめて参加した時は小学生になったばかりだった。レインボーハウスでやりたいことを毎回決めて来ていたと振り返る。

「今日は絵を描きたい、今日はぬいぐるみで遊ぶぞって感じで、ファシリを連れまわして遊んでた」

 

“遊ぶ場所”だったレインボーハウスに変化を感じ始めたのは3、4年生の頃。

「色々と理解し始めて。お母さんのことを話すのが、すごく嫌だった時期があった。時間とともに話す場所なんだと受け入れていった」

 ココミさんも「(死別体験を)外で話すと、若干曇った顔をされることがあって。それでコンプレックスに思っていたのと、うまく言葉にできなくて、レインボーでも話したくないな、話せないなって思った時期があった」と頷く。

 

 

それでもずっと参加し続けたのはなぜだろう?

「やっぱり楽しかったし、みんなが優しかった」「自分が行く場所の一つ、みたいな感覚」と二人。とにかく安心できる居場所だったと声を揃える。

 

ココミさんは「キャーって(走り回って)遊んでたのを、急に疲れたーってイスにもたれかかったとしても、いいよって誰かが横にきてくれた。一人きりになることがなくて、必ず自分を見てくれているって思えたからマイペースで過ごせた」と笑顔だ。

 

 

二人ともに、不登校の経験がある。学校に行かなくなってからも、レインボーハウスには通い続けた。

「行っていて嫌なことがなかったから。何を言ったって否定的なことを絶対言われない。自分を受け入れてくれる人ばかり」とコウキさん。

 

 

ありのままの自分で自由に過ごせる、絶対的に安心できる場所だった。思い返してみると、さまざまな場面でファシリテーターが自分たちの意思を尊重してくれていたことを感じた。

 

 

 

手作りのブレスレット。亡くなった人を想い3色の石を選んだ

二人が印象深いと話す、おはなしのじかんでのブレスレットづくり。亡くなった人や自分の今などを想い、3色の石を選んだ。2016年5月のワンデイプログラムで

「ファシリになりたかった、ずっと」

養成講座を受講した理由を尋ねると、そう即答する。幼い頃からファシリテーターの姿をずっと見てきた二人にとって、自然な流れだった。

「ある意味憧れの存在というか。自分もなりたいな、なるんだろうな、って思ってた」とコウキさんが答えると、ココミさんも続く。

「レインボーハウスとの関わりがなくなっちゃうのが寂しいって思いもあった」

 

 

ココミさんは講座を受けて、ファシリテーターの大変さを感じたと話す。

「ペアでロールプレイをしたとき、シューンって走って逃げていく子ども役の人を、ストップ!と言いながら追いかけて。ファシリって大変だったんだな、って」

幼い頃に遊んでくれたファシリテータ―の姿を思い出していた。

 

コウキさんは「なるほどなって思った。相手を否定しないとか、決めつけないというファシリテーターの姿勢があったから、絶対的安心感って思えたのかな」と話す。

 

 

それぞれに、講座を受けて自分自身の変化も感じていた。

「学校に行っていなかった時とか、辛い!みたいな感じでずっとどん底だったんだけどね。振り切れちゃった。考え方が変わってきたかも」

 

「分かるわ。私は一時期、結構無理して笑ってたけど、もう、生きているだけでえらいって思うようになった」

昔より明るくなったと話すコウキさんに、ココミさんも同意した。どちらにも、分かりやすいきっかけがあったわけではなかった。気付けば変化していることもある。

 

 

家族に対しての想いも。

「親と会話ができるようになったから、苦労とか、あの時大変だったんだろうなって分かる。この人も生きている人だったんだなーって感じるようになったかも。実感というか。父親のことを、一人の人間として理解し始めた感じかなぁ」とコウキさん。

 

お母さんに似てきたと言われることがうれしい

最近成人を迎えた二人。お母さんに似てきたと言われることが増えた。声が似ている、笑った顔が似ている、笑い方や仕草、好きなものまで。

 

「私って、お母さんの娘だったんだって思う」とココミさん。

「お母さんの笑い方なんて覚えてないのに。血ってすげえな」とコウキさん。

驚きと嬉しさと。もういないけど、覚えていないけど、自分の中に母との繋がりを感じている。

 

コウキさんは18歳になった瞬間に母の遺影と写真を撮った。「遺影とイエーイだよ。こんなにでっかくなっちゃいましたよーって」と笑う。

 

 

インタビューの様子

インタビュー中、レインボーハウスのスタッフと談笑するコウキさんとココミさん

 

安心感を支える存在へ 

この春高校を卒業し、新たな生活が始まった。ファシリテーターとしての活動もスタートだ。

「自分自身の在り方としては変わらないと思うけど、ファシリ同士のミーティングとか、未知の部分にドキドキもある」

子どもたちと関わる不安よりも、大人になって大人と関わる不安の方が大きいかも、と二人。

 

子どもたちと過ごすことは、少し不安もあるけど楽しみの方が大きいそう。友だち感覚で子どもと遊べるファシリテーターになりたいと言う。

「小さい子とも目線を合わせて遊べて、大きい子とも友だちみたいに気軽に話せるようなファシリになりたい。これからもレインボーハウスでみんなと過ごす機会があるって思えることで、自分自身も安心できる」とココミさん。

 

「人生のさ、半分はレインボーに来ているのか」

インタビュー中、どちらからともなく呟いた。

「18歳だから、そうだよね。半分くらい。すごいね、なんか」

 

人生の半分をともに過ごしてきたレインボーハウス。第二の家のような、もしかしたら家以上に落ち着くかもしれない”絶対的な安心感”のある居場所。

さまざまな経験を糧にして、この安心感を支える存在になりたいと一歩踏み出した二人。

 

これまでも、これからも。レインボーハウスと歩み続ける。

 

 

 

 

レインボーハウスのプログラムについてはこちら

ファシリテーター養成講座についてはこちらをご覧ください。

投稿者

小宮山 千聖

あしながレインボーハウス開設当初より、学生ファシリテーターとして活動に携わる。長く闘病中だった父親の死を機に、「死別を経験した子どもたちがありのままに安心して過ごせる居場所を支えたい」との思いで2014年入局。 プログラム企画と運営を主に担当する。現在2児の母。

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