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亡くなった人とつながり、あゆむ

コラム 2021.10.14

あしなが育英会では奨学金以外にも、レインボーハウスと呼ばれる「心のケアの拠点」で親をなくした子どもとその保護者を対象に、「グリーフサポート」のためのプログラムを開催しています。「グリーフ」は喪失体験によって起こる心と身体の様々な反応を、「グリーフサポート」は自分の喪失体験と丁寧に触れ合えるようにすることです。グリーフサポートのプログラムでは、同じように死別体験をした人同士が交流し、自分のグリーフと触れる時間を持ちます。

 

コラムシリーズ「あゆみ」では、本会の職員含めグリーフサポートに携わっている人たちに、このような活動をするようになったきっかけ、自身や人々のグリーフと触れ合うなかで感じることなどを紹介してもらいます。

亡き人とのつながり

「元気?空の上は気持ちいいですか?雲には乗りましたか?元気でね」

 

レインボーハウスのプログラムは子どもたちが自分らしく過ごし、自身の気持ちを表現しながら、亡くなった人とつながれる場です。

亡くなった人について、おはなししたり、手紙を書いたり、絵を描いたり、想いを馳せたり・・・

一人ひとりのつながり方は違いますが、それぞれが亡くなった親への気持ちに蓋をせずにレインボーハウスで過ごしています。

 

 

こういったレインボーハウスで当たり前に行われていることも、日々の日常では死やそれを連想させる話はタブー視されているように感じます。

「お父さんは何している人なの?」「奥さんはどうされているの?」と尋ね、「亡くなっているんです」と答えると、多くの人が「ごめんなさいね」「すみません」と謝罪するのではないでしょうか。(触れていけないものに触れてしまったというような・・・)

それが社会的なタブーになっているように私は感じています。

私自身もそのタブーを感じ、自身の死別体験を長らく話すことが出来ませんでした。

 

レインボーハウスでも、「友達にお父さんが死んじゃったと話したら、ごめんねと言われた」と教えてくれた子どもたちが何人もいます。

「謝ってほしかった訳じゃなく、ただ話を聞いてほしかっただけなのに・・・」と話した子どももいました。

自身の経験を照らし合わせると、こういったタブーが日常からグリーフを表現する機会を奪っているのではないでしょうか。

 

たとえ亡くなったとしても、その人とのこれまでのつながりが消えるわけではありません。

亡くなったお父さんやお母さんのことを想うのは当たり前のことです。

 

お父さんの命日に泣きながら気持ちを教えてくれた子ども。

中学3年の最後のプログラムで、親が亡くなった理由を初めて伝えてくれた子ども。

天国へ手紙を届けようとした子ども。

子どもたちを支えるファシリテーター(ボランティア)に見守られながら、懸命に亡き人とつながる瞬間をレインボーハウスで目にしてきました。

 

この活動をしていると、自身の気持ちにありのまま丁寧に触れる経験が、子どもたちのこれからの人生に力を与えてくれると感じます。

 

亡き人について話す「おはなしのじかん」

原点とあゆみ

私自身のこの活動の原点はというと、高校生のときに友人を病気で亡くしたことです。

小学校から10年間の付き合いで、亡くなったことを初めて聞いたときは何を感じたか、どういう気持ちだったのか全く覚えていません。それぐらい私の頭は真っ白だったのだと今になって思います。

友人の葬儀では、悲しさや寂しさが押し寄せてきましたが涙は流れませんでした。

当時の私は押し寄せてくる悲しみと泣けなかった罪悪感を抱きながらも、それを誰にも話せず、自分自身の気持ちとどう向き合えばいいのかも分かりませんでした。

 

転換点は、グリーフケアについて学んでいた大学生時代に遺族会に実習へ行かせていただいたときです。

ある遺族の方に「あなたはどういう経験をされたの?」と問いかけてもらい、初めて亡くなった友人に対する思いや、悲しさと罪悪感が入り混じった自分の気持ちを話しました。

参加者という立場ではないにも関わらず、その場にいた全員が私の話に耳を傾けてくれました。

そのときにようやく、私は友人とつながれた気がします。

 

「亡くなった人のことは忘れて、前を向いて生きなきゃ」

当時の知人からこのように声をかけられたことがあります。子どもたちや保護者の方からこういった言葉をかけられたと耳にすることもあります。

声をかけた側に悪気はないかと思いますが、なくなった人のことを忘れることはありません。

 

亡くなった人の命日や誕生日だけでなく、季節行事やテレビの報道、生前に一緒に行った場所を想起させるもの。

人それぞれの瞬間やあゆみの中で、亡き人を思慕します。

 

悲しかったり寂しかったりすることは、亡くなった人が大切だった証の一つです。

大切だったからこそ辛いのであり、愛していたからこそ悲しいのです。

 

極端に言えば、私は悲しみのない世界には、愛情や友情だってないのではないかと思います。

 

私たちは、子どもたちが大切な亡き人とどのように共に歩んでいくかを、これからも見守りながら、共に伴走していきます。私自身のグリーフを大事にしながら。

 

 

文:髙橋耕生(心のケア事業部 神戸レインボーハウス)

撮影(トップ画):島田北斗(学生事業部 神戸虹の心塾)

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